ヒューマン・エラー -人間ドックの刻印文字-【心臓内科医の脳トレ雑学004】

2025/11/8 22:39
健康
ヒューマン・エラー -人間ドックの刻印文字-【心臓内科医の脳トレ雑学004】

そもそも、人様の視覚っていうやつは、意外なほどあてにならない。
ちょっとした思い込みや先入観に捉われると、目の前にある文字の間違いに気づかないばかりか、笑うに笑えないユーモラスな場面に出くわす。こうした現象は、決して稀有とはいえず、日常茶飯事なのかもしれない。

かつて秋田県成人病医療センターに居た頃、法人の方針どおり、人間ドックを専用とする病室のリフォームに取り掛かった。出入り口には、「人間ドック」と表示して、一般病室と一線を画す必要があり。プラスチック板に刻印するだけの定番商品を発注したが、一筋縄ではいかなかったのである。

最初のプレートには、「人間ドツク」と深く刻まれていた。関西弁独特の「ど突く」は「こづく、殴る」を意味する。お客様を「ど突く」とは、あまりにも失礼千万な接客マナーではないか。促音の「ツ」を拗音の「ツ」と彫り間違えたが、促音は母音がないし、音読してみれば一目瞭然だろう。しかし、棟の職員だけでなく、利用客までもが、文字列に何となく違和感を覚えても、誤字とは見抜けなかった。
たまたま、人間ドックの利用客のなかに、緊急治療を要する患者が発生したため、専門病棟へ移そうとした時も時、担当医の目に飛び込んできたのである。

人間ドックの業務に没頭する職員には、「灯台下暗し」といえ、こんな初歩的なミスに気づけないのは、注意力散漫以外の何物でもないが、「なぜ、こんなミスが起きるのよ」と、まるで他人事だった。業者の刻印ミスが原因だが、納品係の確認漏れや修正の指示ミスも怠慢の一言に尽きる。

専用室を表す看板の誤字が、1週間以上も放置されたまま、何十人もの眼を擦り抜けた事実は、一事が万事というが如く、「患者の取り違え」や「医療事故」などにも繋がりかねない病院管理上の不手際というほかない。プレートはすぐに修正することとし、物品の購入システムを見直した。

人間ドックは自由診療であり、利用客は、個人情報保護の観点から、回診の対象外となるため、部屋の看板を見る機会はなかった。しかし、この日は、全病室を回診している間中も、ずっと、あの誤字の行方が頭の片隅から離れなかった。
「過ちを改めざる これを過ちという」し、「二度あることは三度ある」ともいうから、半倍半疑でいたところ、新たに刻印した看板を見つめた瞬間である。
よくもまた裏切ってくれたのである。

なんと「人間ドッグ」と、「ク」を「グ」に変えて刻印し、お犬様用のドックかと勘違いしかねない宇面(づら)になった。
案の定、恐れていた不安が的中してしまった。一瞬、落ち込みかけたが、なぜか苦笑も禁じ得ない。よくよく考えてみると、これは職員を訓示するに格好の材料ではないかと脳裏に浮かんだのである。内心、穏やかではなかったが、けっして故意でなく、こんな偶発的ミスが重なるなんて奇跡的でないか。内心、感謝状をお渡ししたいくらいの気分だった。

「ドック」のカタカナ表記は、医療関係者でなくても、誰にでも通じる時代になった。
だが、「専門業者に発注したから」とか「自分は絶対そんなミスを」と、先入観や思い込みがあまりにも強く、過信にまで陥ってしまうと、錯覚という罠に嵌まり込んで、なかなか抜け出せない。難解な漢字ならまだしも、カタカナに書かれたとおり読めないうえ、誤字であること自体に気づけない迷路に迷い込んだのである。

人間ドックは、看板に誤字があっても、予定どおり進め、利用客に一切迷惑をかけていない。この結末は、刻印文字の精度を怠った業者にとって、自業自得とはいえ、作り直しは致し方ない。
患者業務に追われるなか、今回の事実誤認という失態は、視力や注意力とは無関係に、ある種の錯覚に起因して生じたのだと、理解してもらえば御の字である。「再発防止」にはゴールもノーサイドもない。医療機関に不可々な基本理念として然るべきテーマである。本作は、意図しない過失による人為ミス(ヒューマンエラー)だった。

それにしてもなんてこったいと云いたい。今、世界の潮流は時代に逆行し、人類は、歴史上、まれにみる危機に瀕している。地球という資源を化石燃料で枯渇しようというのか、生態系を無視した経済優先の果て、地球温暖化という取り返しがつかないヒューマンエラーを犯したからである。無縁ではないが、その間隙に乗じて、コロナ禍とプーチン禍も勃発した。ウクライナ危機は、まさにプーチンの妄想に端を発する狂気の沙法で、すでにヒューマンエラーの許容範囲をはるかに超え、刑罰による制裁の世界へ足を踏み入れている。

古代ローマの歴史家の言、「歴史は繰り返す」の真意は、「人間は無知だから、戦争を繰り返す」にもある。そのとおりではないか、21世紀にもなって、独立国ウクライナはロシアの僕従(しもべ)だと、旧ソ連時代の妄想が募り募って、領土を奪還する思い込みがさらに激しくなり、クリミヤだけならまだしもウクライナまでも併合してしまえるという先入観に囚われたのだ。
独裁者の末路は、そぞろ哀れを催すものなのである。フランス革命のルイ16世は35歳でギロチンに処され、ハイル・ヒトラーは51歳時にピストル自殺し、セントヘレナ島に幽閉されたナポレオンも51歳で他界した。独裁者には魔の69歳という死のジンクスがあり、北朝鮮の金正日、イラクのフセイン、リビアのカダフィらが有名である。
理不尽なウクライナ侵攻を繰り返すプーチン氏は、厚労省御用達の後期高齢者になるまでにはベースの弦のようにプチンと切れるだろうか興味津々である。

緊急避難を緊急非難と書き間違えても言い間違わない。ナレーション原稿がひら仮名文字だからだが、救急車で緊急搬送と報道すると、それは救急搬送の誤りだと、公言して憚らない。ウクライナバフムトの現状を、某女子アナは反発と評すが、死守しようとする戦場の表現としてはちと軽い。徹底抗戦というのが妥当だ。岸田総理を襲ったパイプ爆弾で周囲は混乱と報じられた。私の眼には、街頭演説を聞こうと集まった人たちが恐怖に怯える姿に映った。ロシアのウクライナ侵攻が第三次大戦に「発展」するかとした表現は間違いではないが、「突入か拡大」が勝るように思う。

間違い探しは趣味であり、一種の職業病だ。語句の選択ミスはもとより、表現や論理に飛躍があると、瞬時に修正する習性が顔を出す。「今更、言ってもしょうがないでしょ」と横やりが入るが、脳を活性化するトレーニングは、記憶力の衰えや刎頸の友、頭の回転不足を補填すると倍じてやまないから、誰に言われようとやめないでいる。(完)


【著者プロフィール】
門脇謙(かどわき けん)
高知県南国市生まれ/中央大学附属高校卒、秋田大学医学部卒。
秋田大学第二内科入局にて助手、講師、臨床教授を務めたのち、秋田県成人病医療センター赴任。科長、部長、副センター長、センター長を務め、平成27年〜秋田県立脳血管研究センター循環器内科、社会保険診療報酬支払基金秋田審査委員会事務局 審査調整役に就任。