警報級の天気予報-後編-【心臓内科医の脳トレ雑学:連載003】
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前半では嫌みなことばかり、マスコミの弱みを突いてきたが、何を隠そう、我々団塊世代はかつてテレビっ子で、リモコン付きテレビは生活必需品なのである。
死ぬまで切っても切れないというやつだ。タイガーウッズや大谷翔平らの全盛時代を目の当たりにした。スポーツ観戦は、囲碁将棋などと同じように、勝負がつくまでライブで見るから楽しいのだ。結果が分かってからでは、興味は半減する。放送中にスポットCMや天気予報が流れようものなら、目の前にあるのに気づかずに、リモコンを家中探し回るのである。
テレビ世代は、14インチの角が丸く歪んだ画面が懐かしく思え、そこで見たテストパターン映像(放送の休止を知らせる試験電波画像)が目に焼き付いている。断っておくが幻覚ではないぞ。家族みんなが集まって、覗き込むようにみた小さなサイズだけでなく、ゴースト現象や反射画像などに悩まされたブラウン管の画像が、時を経て、50インチを超える大型のLEDディスプレイとなったのはよいが、早寝厳禁と宵っ張りという習慣が祟って、深夜に通販番組が流れても、なかなかスイッチを切れないでいる。
少しばかり、道を踏み外すが、私の寝起きの番人は、人感センサー付き昭和後期購入のテレビ画面である。寝相がよいせいか、眠った瞬間、自動的に画面が消える。朝、寝返りを打てばスウィッチが入るのである。横着者には、意のままになる便利な機能で、ひょんなことから利用し始めた。玄関のカギ穴が闇夜のカラスのように探し難くなったので、インターフォンの回線を使って、センサー付きLED電球を新調したのである。これがきっかけで、外玄関の前から、寝室に至るまで、人感センサーが作動すると、LED電球も点滅する。低消費電力、長寿命とする仕様どおりかはまだ不明だが、天気予報よりよほど正雄で、裏切られた試しがない。
飛んだ寄り道をした。ところで、昭和50年以前の国語辞典を引いてみると、「天気予報」は、あまりにも「外れやすい」ところから、「あてにならぬ予告」とか、「あまりあてにならない予想や予言」と明記されている。気象学的な難解な理屈はさておき、確率論的には、「Aを買った人が100人いれば、うち80人はBを買う」といった例え話があるように、あくまで確率でしかない難しさがあって、「明日の降水確率70%」とは、「同一の気象条件が100回あれば70回は雨が降る」と予測するが、「明日は明日の風が吹く」ので、本当に雨かどうかは分からない。あたり70個、はずれ30個のくじを引くようなものだという。
くじ引きの起源は多種多様だが、江戸時代初期、摂津の国ともいわれ、当たりくじは「お守り札」であった。その後の紆余曲折には触れないが、幾星籍の時を経て、昭和36年、第一勧業銀行(みずほ銀行の前身)が宝くじを売り出した。
では、宝くじはギャンブルであろうか。法律上はそうだろうが、一獲千金の夢、アベック(1990年頃までのカップル)の運試し、縁起を担ぐなど、庶民の楽しみだった。それがこともあろうに、還元率(配当金)が低い(45%前後)と無茶な理由をつけて、大阪の大型カジノ施設(IR)の設置法案が、4月に衆議院を通過してしまった。ギャンブル依存症に伴う家庭崩壊、治安の悪化や破産による自殺増などの懸念事項と、オンラインも含めた富裕層のインバウンド儒要に伴う経済的なメリットを、天秤にかけた結果というのである。
しかし、よりにもよって、宝くじを引き合いに出すなんて馬鹿げている。宝くじとの比較論はどれもこれも龍弁ばかりであり、ましてや、カジノを善とする国策は賛成できないし、軽率のそしりを免れない。関係者を絶った第三者委員会で議論を積み重ねるべきであり、拙速な判断は、国民の分断を招きかねない。かつて革新都政が公営ギャンブルを廃止したのは、圧倒的な世論の支持が後押ししたからにほかならないのだ。
賢明な諸君はすでお気づきだろうが、政府は今、ギャンブルによる財政再建という危険な賭けに打って出ようとしている。報道機関と共に国民は監視していなければならない。
昨年末、秋田駅前の卸業と小売りを兼ねる市民市場に出かけると、高齢者をターゲットとする葬儀屋のポップアップストアが出店していた。
市場の店舗は、殆どが個人事業主ときくが、実態は家族経営であり、不況が続くなか、コロナ禍、ロシア禍が加わり、閉店が相次いでいる。
簡易テーブルとパイプ椅子を用意して、葬儀用品を並べたて、くじ引き会を開催するという。私は無縁と思い込んでいるのに、仏事コーディネーターがつかつかと歩み寄ってくる。縁起でもないので、早々に引き上げたいと、目を合わさずにエレベーターへ向かった。ただ、ここは1階、屋上からカゴが降りてくるが間に合わない。駐車場へは階段を駆け上がればよいのだが、まさかここまで追って来まいと、高を括ってしまった。葬儀屋の眼には、格好の相手・客人と映り、油断大敵の虚をつかれて、とうとう振り向かされ、くじ引き棒を入れたくじ箱が差し出されたのだ。
そして、「本日はくじ引き会を行っていますので、参加してみませんか、お一つどうぞ」と声をかけられたのである。「お早くどうぞ」とせつかれると、思わず手が伸びそうになる。
冷静に考えてみると、くじ引きの商品は、線香や蝋燭などに決まっている。万に一つもないことだが、葬儀費用の割引券や優待券が当たったらと思うと、「早く逝け」とも暗示されているようで、生きた心地がしないし、笑うに笑えない。頻繁に出入りしているのは、きっと割のいい仕事にありつけるからだ。内心、やだやだとごねていると、最後に切り札を出される。「それでは会員登録していただけませんか」と。まさに死と弔い行事の約束手形と受け取れるし、そうなると、葬儀屋のくじ引きに空くじはないことになるのである。
現総理でさえも、「ご指摘は謙虚に受け止め、反省すべきは反省しなければならない」と答弁する。天気予報は生活基盤であり、インフラの一つと数える識者がいる現状において、報級の誤報という空くじはあってはならないはずである。
令和4年11月以降、人間の質問に、自然で精度の高い回答が得られるチャットGPTなるものが急速に普及している。大量のデータを読み込み、蓄積と解析も可能なCPS(サイバーフィジカルシステム)が予想以上に早く開発されたからである。あらゆる業界の尻に火が付き、著作権へ抵触、雇用の喪失、不公正な収益配分などが議論の渦中にある。
また寄り道を楽しむ。それにしても生成AIとは。ジェネレーティブAIの直訳だが、なぜかピンとこない言葉である。米国ガートナー社が営業戦略としてネーミングしており、コンテンツをブラッシュアップするなら、人間にしかできない指示が前提条件とされる。入力データの精度次第では、100点満点の論文も、訳アリの場合には90点くらいにとも、手心を加えられるアプリで、ディープラーニングの発展型ツールであることに疑いの余地はない。
意訳だが対話型などとも表示するほうが、初心者には理解しやすいのではないか。回答と解説付きのアンチョコを連想するものである。
いずれにしても、ありとあらゆる未来を予測する時代へと舵が切られており、AIキャスターが24時間、365日登板する日がすぐそこに迫る。それが嫌なら、模倣ソフトの生成AIに勝てないまでも、その先見性を逆用しながら、人間自身がもつ感性を磨いて、個性や魅力の創造に徹底するしかないではないか。(完)
【著者プロフィール】
門脇謙(かどわき けん)
高知県南国市生まれ/中央大学附属高校卒、秋田大学医学部卒。
秋田大学第二内科入局にて助手、講師、臨床教授を務めたのち、秋田県成人病医療センター赴任。科長、部長、副センター長、センター長を務め、平成27年〜秋田県立脳血管研究センター循環器内科、社会保険診療報酬支払基金秋田審査委員会事務局 審査調整役に就任。

